公開: 2024年5月25日
更新: 2024年5月25日
1947年、日本政府は、1946年に制定された日本国憲法の理念に従って、大日本帝国憲法の理念に従っているとされている「教育勅語」を置き換える、教育基本法を制定しました。制定前の国会答弁では、文部大臣は、教育基本法は「教育勅語に矛盾していない」と答えていて、その理念において、違いがないことが強調されていました。しかし、1948年の国会で、「教育勅語の失効」が決議されたため、「教育基本法は、日本国憲法の理念に基づいたもの」であるとする認識が、現在の専門家の意見を代表していると言われています。
この教育基本法と教育勅語の関係の解釈の違いが、戦後の「日本社会の教育」の目的の解釈を混乱させています。教育勅語を守るべきとする態度を主張する人々にとっては、「天皇が主権者である日本社会の発展に資する人材を育成する」ことが重要であり、戦後の日本国憲法の理念に基づくべきと主張する人々にとっては、「世界平和を希求し、人類文化の発展に寄与する人々を育成する」ことが重要であると考えます。前者は、天皇制を中心とした日本社会の継続と発展が重視され、後者では、民主主義国家として、国民が平和で文化的な生活を営める社会の維持と発展が重視されています。
国民の間にこのような解釈の相違が生じている背景には、教育基本法における条文の表現に、「あいまい」な表現があることが指摘できます。それは、教育基本法の原案を作成した人々の間に残っていた意見の相違が、解消されないまま、文案が作成されたことを物語っていると言えるでしょう。最初に述べた、当時の文部大臣の答弁からも理解できるように、当時の文部大臣は、教育勅語の解釈とは異なる表現を導入することには、反対だったのです。そのため、条文案に意図的に「あいまい」な表現を残したのでしょう。
似たような問題は、教育基本法だけでなく、さまざまな法律に残されています。この「あいまい」さが、現代の日本社会が直面している問題の根源になっている例も少なくありません。これは、日本社会によく見られる特徴であると同時に、日本社会の抜本的な改革を妨げる原因でもあるのです。